今週は、まったく勉強をする気になれません。ごめんなさい。
まあ、そういう時もある。
それで良いのだ!と勝手に許可を出すことにしました。
今、私は、ささやかな現実逃避がしたいのです。
国内であれ国外であれ、胸が締め付けられる様なニュースしかない現実だから・・・
そう思って、図書館で借りてきた本がこれです。

この表紙を見れば、ほんわかと息をつけそうな感じだと思いませんか?
原題は du bon usage de la lenteur
ゆっくりの優れた効果とでも、直訳したらいいのかなあ~
この作者は、Pierre Sansot(ピエール・サンソ)
フランスの大学の先生だったそうで、哲学と人類学を教えていたそうです。
後書きに、食べることと作り話を愛し、毎朝欠かさずテニスをする。とありました。
「ゆっくり気楽にというニュアンスと毎日欠かさずテニスをすると言うのは、なんか合わない感じね」
というのが、我が友人の意見でした。
確かに、毎朝テニスをしようと思うと、ゆっくりしてられへん様な気がするのですが・・・
まあ、それは、のろまな亀の感じる気持ちなのです。
行動の素早いウサギならば、朝のテニスなど、ゆっくりの部類に入るのでありましょう。
と言うわけで、この本を読んで共感する人は、本来、行動も思考も素早くできる優秀な人達なんだろうなあと思いました。
でも、これはフランスではベストセラーになったそうですから、賢い人達が多い国なのか、私が、鈍くさい亀の種族なのかのどちらかでありましょう。
趣旨としては
目先のつまらない目的をアクセク追いかけず、自分が今何をしたいのか、今どんな時の流れにいるのかをじっくり味わいなさい。それが、生きると言う事でしょう。
という様な内容だと思うのですが、結構表現が難しいし、目が文字を追っていても、意識は、フワフワとよそに彷徨いだしていきます。
そぞろ歩きを楽しむの中に
《実際には、そぞろ歩きの楽しみは、なにかを見つけることにあるのではない。歩くという行為そのものにあるのだ。自由な空気を胸一杯に吸い込み、目障りなものには目もくれず、この世に生きてる幸せを感じながら歩くこと、それが大切なのである。》
歩くだけに、これだけの決意が必要なら、散歩に行くのをためらってしまいますよね。
そんなこんなで、おおざっぱに飛ばし読みをしています。まだ、読み終わっていません。
私が面白いなと思った章は 「ワインの知恵」です。
日本酒が地酒として、各地に根づいているように、フランスでは、〈故郷のちょっとしたワイン〉に愛着があるのだと言う事を知りました。
《「有名なワインではない。あまりおいしくないかもしれない。けれども、私のワインだ。学校へ行く途中にあった生け垣や、ダムをつくって遊んだ小川と同じように、ふるさとのワインだ。」》
そして、以前、訳すのに苦労した歌 la montagne(故郷の山)の中に出て来たピケットについて理解を深めることが出来ました。
歌の中に、C'était une horrible piquette (それは恐ろしいピケットだった)という歌詞があるのですが、イメージが掴めず、安物のひどい味の葡萄酒のことかなあ~と思ってていたのですが、この章の中に出てくる内容で、少しイメージが掴めました。
ちょと長い引用になりますが
《 ぶどうの中にはピケット(ブドウなどの搾りかすに水を加えてつくる飲み物)の材料になるものもある。これはべつだん恥じることではない。ブドウが年をとっただけの話で、年寄りが杖をついたり、気難しくなったりするのと同じ事なのだ。
村人たちは、よそ者が、いやいやながらこのピケットを飲む様子を面白そうに眺める。北仏からの旅行者が、日焼けした顔をさらに赤らめるのを見て、思わず微笑を浮かべる。本当のところ、彼らは決して、古いブドウからつくったこの酒を嫌ってはいないのだ。》
ここを読んで、ピケットというのは、まあ言うならば、商品として出すには価値の無くなった古木に出来る実を使って作るものなのかなあ~・・・自家用に当てるために・・・
日本で言えば、長野県の民宿で、その自家用の漬け物を、毎年行って馴染みになったお客さんだけに特別食べさせてあげる。といった感じかなあなどと想像をたくましくしています。
まだ時間があるので、この本は、ゆっくり読んで、気楽に返しに行くことにしましょう。
さて、話は変わりますが、4日の朝、そぞろ歩きをしていた私が目にした鴉です。

すぐそばまで近寄っても逃げる気配がありません。
「鴉にまでなめられているな~」
と思ったのですが、彼にとっては、朝の饗宴の最中だったのでした。
前日が節分で、家々の窓から「鬼は~外!」と大声でまかれた豆。
その残りが、この日の朝の鳥たちを大いに喜ばせていたのでした。

椿の季節も、もうすぐ終わりますね。

まあ、そういう時もある。
それで良いのだ!と勝手に許可を出すことにしました。
今、私は、ささやかな現実逃避がしたいのです。
国内であれ国外であれ、胸が締め付けられる様なニュースしかない現実だから・・・
そう思って、図書館で借りてきた本がこれです。

この表紙を見れば、ほんわかと息をつけそうな感じだと思いませんか?
原題は du bon usage de la lenteur
ゆっくりの優れた効果とでも、直訳したらいいのかなあ~
この作者は、Pierre Sansot(ピエール・サンソ)
フランスの大学の先生だったそうで、哲学と人類学を教えていたそうです。
後書きに、食べることと作り話を愛し、毎朝欠かさずテニスをする。とありました。
「ゆっくり気楽にというニュアンスと毎日欠かさずテニスをすると言うのは、なんか合わない感じね」
というのが、我が友人の意見でした。
確かに、毎朝テニスをしようと思うと、ゆっくりしてられへん様な気がするのですが・・・
まあ、それは、のろまな亀の感じる気持ちなのです。
行動の素早いウサギならば、朝のテニスなど、ゆっくりの部類に入るのでありましょう。
と言うわけで、この本を読んで共感する人は、本来、行動も思考も素早くできる優秀な人達なんだろうなあと思いました。
でも、これはフランスではベストセラーになったそうですから、賢い人達が多い国なのか、私が、鈍くさい亀の種族なのかのどちらかでありましょう。
趣旨としては
目先のつまらない目的をアクセク追いかけず、自分が今何をしたいのか、今どんな時の流れにいるのかをじっくり味わいなさい。それが、生きると言う事でしょう。
という様な内容だと思うのですが、結構表現が難しいし、目が文字を追っていても、意識は、フワフワとよそに彷徨いだしていきます。
そぞろ歩きを楽しむの中に
《実際には、そぞろ歩きの楽しみは、なにかを見つけることにあるのではない。歩くという行為そのものにあるのだ。自由な空気を胸一杯に吸い込み、目障りなものには目もくれず、この世に生きてる幸せを感じながら歩くこと、それが大切なのである。》
歩くだけに、これだけの決意が必要なら、散歩に行くのをためらってしまいますよね。
そんなこんなで、おおざっぱに飛ばし読みをしています。まだ、読み終わっていません。
私が面白いなと思った章は 「ワインの知恵」です。
日本酒が地酒として、各地に根づいているように、フランスでは、〈故郷のちょっとしたワイン〉に愛着があるのだと言う事を知りました。
《「有名なワインではない。あまりおいしくないかもしれない。けれども、私のワインだ。学校へ行く途中にあった生け垣や、ダムをつくって遊んだ小川と同じように、ふるさとのワインだ。」》
そして、以前、訳すのに苦労した歌 la montagne(故郷の山)の中に出て来たピケットについて理解を深めることが出来ました。
歌の中に、C'était une horrible piquette (それは恐ろしいピケットだった)という歌詞があるのですが、イメージが掴めず、安物のひどい味の葡萄酒のことかなあ~と思ってていたのですが、この章の中に出てくる内容で、少しイメージが掴めました。
ちょと長い引用になりますが
《 ぶどうの中にはピケット(ブドウなどの搾りかすに水を加えてつくる飲み物)の材料になるものもある。これはべつだん恥じることではない。ブドウが年をとっただけの話で、年寄りが杖をついたり、気難しくなったりするのと同じ事なのだ。
村人たちは、よそ者が、いやいやながらこのピケットを飲む様子を面白そうに眺める。北仏からの旅行者が、日焼けした顔をさらに赤らめるのを見て、思わず微笑を浮かべる。本当のところ、彼らは決して、古いブドウからつくったこの酒を嫌ってはいないのだ。》
ここを読んで、ピケットというのは、まあ言うならば、商品として出すには価値の無くなった古木に出来る実を使って作るものなのかなあ~・・・自家用に当てるために・・・
日本で言えば、長野県の民宿で、その自家用の漬け物を、毎年行って馴染みになったお客さんだけに特別食べさせてあげる。といった感じかなあなどと想像をたくましくしています。
まだ時間があるので、この本は、ゆっくり読んで、気楽に返しに行くことにしましょう。
さて、話は変わりますが、4日の朝、そぞろ歩きをしていた私が目にした鴉です。

すぐそばまで近寄っても逃げる気配がありません。
「鴉にまでなめられているな~」
と思ったのですが、彼にとっては、朝の饗宴の最中だったのでした。
前日が節分で、家々の窓から「鬼は~外!」と大声でまかれた豆。
その残りが、この日の朝の鳥たちを大いに喜ばせていたのでした。

椿の季節も、もうすぐ終わりますね。

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最終更新日 : 2015-02-06