魚だって大空を飛びたい !

Moi, un poisson. mais,je voudrais voler dans le ciel !

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2014-10-20 (Mon) 12:02

映画SAYAMA 

私は一度ウトウト眠った後、1時か2時に眼を覚す。
そして、冷蔵庫を開け、何かを引き出し食べてしまい、朝、目覚めて、チーズの包み紙が枕元にあったりしてビックリする。
この行為を、私は「深夜の家庭内徘徊」と名付けているのだですが・・・
まあ、年寄りには良くあるこ行動パターンだと諦めております。

土曜日も、このパターンで1時頃起きてしまい、
「グタグタしているよりメールをチェックしよう 」
とパソコンを起動して、なぜか京都シネマの上映スケジュールを見たのです。

SAYAMA みえない手錠をはずすまで
「見えない手錠って何だろう?」と思って
公式サイト: http://sayama-movie.com/ を探すと、
それは、いわゆる“狭山事件”についてのドキュメントフィルムでした。

翌日の19日
私は、9時55分から始まる、この映画を見に行きました。
朝起きても、体が動かなくなっている私には、8時台の電車に乗るのは、ちょっと辛い。
でも、そんなことを言ってる場合か・・・
この映画は、まず、短パンとランニング姿の石川一雄さんが、朝のジョギングをする場面から始まります。
74歳とは思えない、引き締まった筋肉。
でも、頭からは、若き日の豊かな黒髪はなくなっていました。(失礼発言ですが)

だって、石川さんは、1963年に、24歳で殺人犯として逮捕され、31年7ヶ月を刑務所で過ごし、1994年12月仮出獄。
その後、今に至る20年、再審を請求の活動を続けています。
雨の降りしきる梅雨も、太陽の照りつける真夏の日も、風が冷たい秋の日も、雪で指の悴む冬の日も、裁判所の前に立ち
「私は無実です。証拠を出し、再審して下さい」と訴え続けて居ます。

「無罪を勝ち取るまでは死ねない!」
その思いが、この毎朝のジョギングになっているんだろうな~と私は思いました。

恥ずかしいことですが、私は、冤罪事件があったことを知ってはいましたが、年月を経て、無罪判決が下りた物と、勝手に思い込んでいたのです。
このドキュメントを見て、狭山事件は終わっていない、仮釈放はされていても、無罪ではないのだと言う事を知りました。

石川さんが無罪だというのは、どう見ても、はっきりしています。
逮捕された当時、貧困の中で小学校にも行けていなかった彼は、ほとんど読み書きが出来なかったのです。
脅迫状なんか書けるはずがない。
「筆跡鑑定をしたら、書いた本人ではないと簡単に分かるじゃないですか?」
映画が終わったあと、その日来てくれていた、この映画の監督、金聖雄さんに、わたしは尋ねました。
「そうなんです。それだけ出鱈目だったということなんですよ。」とのこと・・・

逮捕された後、無理矢理、似せて書かされたらしいのです。

家に帰って調べたら、ネットで犯人の筆跡と石川さんが書かされた筆跡を見ることが出来ました。
素人の私が見ても、これはちがうと思いました。

筆跡鑑定人ブログ 狭山事件・石川一雄さんの手錠を外したい(23-12-15)

これは、映画パンフレットの表紙からです。

141019-00

このドキュメントを見ると、石川夫妻の思いと生き方が伝わってきます。

拘束された約32年の期間を、失った時と見るのかもしれません。
でも、拘置所の中で文字を学び、世界が広がることを感じた。
それまで、自分が差別されている、不当に逮捕されたという事も認識できていなかった。
一つ一つ、学び闘うなかで、彼は、自分と世界の繋がり、他者との繋がりを知り、自分を知るのです。

この32年そして再審請求の20年は、まるで、千日回峰行を歩くお坊さんの姿のような気がしました。

支援者であり、連れ合いとなられた早智子さんとの、厳しい日々だけれど、暖かく乗り切っていく姿に、気持ちがほっこりいたします。
映画作品としても、とても良い物だと、私は感じました。

で、この後続いて、私は、午後1時半から円山公園で始まる、
「10.19 変えよう!日本と世界 反戦・反貧困・反差共同行動in 京都」に出かけたのでした。


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最終更新日 : 2014-10-20

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