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2008-08-28 (Thu) 11:58

一人の青年の死に思う

8月28日朝日新聞朝刊の一面に「NGO邦人 遺体発見」と大きな記事が出ていた。
その前夜のニュースで、チラッと見ていたが、疲れていてしっかり内容を把握できていなかったが、アフガニスタンで拉致されていた、NGO「ペシャワールの会」で活動していた伊藤和也さんが遺体で発見されたという記事だった。
その遺体は、警察でなくて、地元の人達が抱え上げた台に乗せられ、周りも子供達が取り囲んで運ばれている写真で、現地での彼の人柄が伝わってくるような気がした。
 私の友達の息子に、きっとこの亡くなった伊藤さんのような人柄だろうなあと思う人が居る。親父そっくりの、真っ直ぐな生き方で、自分の生き方を求めアフリカを一人で旅し、現地の人の中で、ぶつかり、生きる力をくみ取ってくる。
父親である友人は、心配もあるだろうが、その生き方を肯定して、しっかり見守っている。
その姿と、この亡くなった伊藤さんの父親が、TVで語る姿とが私にはダブって感じられてしまって、なんだか、ものすがく辛い気持ちがこみ上げてきた。
こんなにまっすぐに、こんなに一生懸命生きている人が、なぜ殺されなくてはならないの!と・・・
こんな話がある度に思うのは、拉致した側の、一兵士の心はどうなんだろう?
と私は思ってしまう。上からの命令で「悪い奴だから」と拘束しても、何日か一緒にいれば、人間性って伝わるではないですか?絶対、分かるよね!
それでも、殺せるのか!
戦場で出会い頭に、打ち合って殺す・・・
というのはまだ分かる、恐怖が先に立って「殺さなくては殺される」
でも知り合ってしまえば、人が人を殺す事が出来るのだろうか・・・
出来たとしたら、その人の心も、殺す痛みで、死ぬに等しい荒廃を持ってしまうのではないのか・・
失った命は、取り返しがつかない・・・・
その笑顔を、体の暖かさを直に感じることは、もうできない・・・

「なぜ人を殺してはいけないの」と今の若者が聞くのに大人が答えられないという。
その答えは、失った命は、取り返しがつかない・・・・それしかないよね。

政治がからんでと言うけれど
政治って、結局、人間の欲が集まって国の欲になって、利権とか場所とかを取り合ってるんだろうなあと私は思うのね。
でも、そんな自己中心的欲だけでなくって、人を助けたい、一緒に喜びを分かち合いたい。簡単に言うと、人が喜ぶ笑顔が見たい・・・
そんな欲求も人間は持っているんです。
なんで、そっちが優先してくれないのかなあ?
欲張って倍食べるよりも(そんなに食べれないってば!!体壊すし)、ちょっとだけ遠慮して、一緒に食べようよって食卓を囲む方が、絶対楽しい!
そして、この伊藤さんは、笑顔が見たい人だったのです。
きっと彼の思い、彼の優しさは、伝わって残る、体は死んでも・・・
でも殺した側に人の体は残っていても、心は麻痺していくのではないでしょうか?
生き返って欲しい!
でもそれが出来ない。
だから「殺しては駄目なんです」

ああ、こんな事しか言えない自分も悲しいな~!

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最終更新日 : -0001-11-30

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