10月1日 日曜日に、大垣にバスツアーで行ってきました。
久しぶりの遠出だったので、遅くなりましたが紹介しておきます。
この日は、若かりし頃通っていた 労働学校友の会の第30回イベント、そして最終回になりました。
7時、 自転車で我が町の駅まで走って、駅の駐輪場に預け、電車で京都駅に。
お弁当を自分で作る余裕が無く、駅中のお弁当屋さんで、ミニ幕の内とお茶を買いました。
京都駅八条口送迎場8:00出発の予定でしたが、参加者が1人見つからず20分遅れで発車する事に・・・
今年ばかりは、25人の参加者でマイクロバスは満杯となりました。
10:30大垣に到着。
二人のボランティアガイドさんが付いて案内してくださいました。

まず、大垣市郷土館で、館長さんの説明を聞き展示室を見学。
いつもの事ながら、下調べも何もしていない私です。
この大垣の城は、かの石田三成が、関ヶ原の戦いの前に本陣としていたそうです。
この資料館の屏風絵には、関ヶ原合戦の前日、慶長5年9月14日(西暦1600年10月20日)の様子が生き生きと描かれています。
デモンストレーションとして陣前でときの声を上げる西軍。それに応じて、固めた陣口から兵を送り出す東軍。
石田三成は、この地で決戦の時を予定していたそうですが、前夜に大移動と見せかけた徳川軍の策にのり、関ヶ原に移動したのだそうです。
ああ、戦から逃げ遅れた姫様が一人・・・?

関ヶ原の戦いの後、城主の交代が何度かあって、落ち着いた時の城主が戸田氏でその後ずっと続いたそうです。
大垣のご城主様は戸田様ですよ。
「大垣で戸田ですと言えば、デカイ顔ができるよね」とおしゃべりが弾みました。
初代殿様の像です。ちょっと可愛いすぎる気がするのですが・・・

資料館を見学した後、大垣城まで歩いて移動しました。
大昔は三重の堀に囲まれていた四層の城だったそうです。
堀は埋め立てられて今はありません。城の門の前あたりは、海抜6mとの事。
以前行った、長篠は、もっと北の方になりますが、同じ水系の街なんだなあと繋がりを感じた。
ここら一帯は、織田、徳川と戦国時代の中心地のような場所だったのであります。
城の模型図

ミニ姫路城のような白亜の城は、空襲で焼け落ちたものを復元したものだそうだ。
姫路城、熊本城を見たことのある私には、ちょっと見劣りがすると感じました。
が、それを補うかのごとく、カラフルな髪をしたイケメンのお兄さん、お姉さんが、鎧を着て待ち構えておりました。
300円で鎧を着て、一緒に記念撮影をしてくれるのです。
時間があったら、うれしがりの私は鎧をまとっていたかもしれません。

ガイドさんに誘導され、「奥の細道結びの地」に移動する途中で、由緒正しき柿羊羹の店「つちや」さんの前を通ったのであります。
ドドッと店に押し入り、全員で試食と土産購入となりました。
突然の25人乱入で、お店の人はびっくりしたかもしれませんが、うれしいビックリだったと思います。

水門川に出て、住吉燈台と船町港跡を見学し、奥の細道むすびの地記念館に入りました。


水路を使って、江戸から桑名まで行き来できる。
今だったら交通の大動脈であり、その要所だったんだろうと思われます。
松尾芭蕉翁は、元禄2年の秋、江戸を旅立ち、新潟、金沢を通って、この大垣を最終地としたそうです。
芭蕉さんは、この旅の後も大垣を3回訪れたとのことです。
なんと足腰の丈夫な人だったのだろうと感心します。

記念館で休憩時間をとり、各自昼食としました。
その後、待ってくれていたバスに乗って、キリンビール滋賀工場に移動です。
ビールの空き缶で多賀町民がつくったシンボル、たがゆいちゃんです。

アップすればよく分かります。

綺麗な案内のお姉さんが優しく迎えてくださいました。
一般の見学者と、車を運転する人は、色の違うカードを首からぶら下げなくてはいけません。
キリン一番搾りの出来るまでの説明を聞いて見学、そして最後に、お待ちかねの試飲会です。
アルコールの飲める人は、キリン一番搾り、キリンプレミアム、最後は黒ビールと3種類のビールを飲むことが出来まます。
皆かなり出来上がってしまいました。
それでイベント終了で、一路京都に向かいました
その車中で、このイベントを始めてくださったSさんのお話を伺いました。
学校の事務局長をなさっていたS氏、とても穏やかで、誰にも丁寧で親切な方でした。
60歳で定年退職された後、卒業生達の為に、集まれる場をと言うことで、年に一回のイベントとして、このツアー20年間続けてくださったのだそうです。
そして、10年前に、今のメンバーに役を引き継ぎ、30年目を迎えました。
参加者も、足腰の衰えが目立つようになり、30年で締めとなった訳です。
しかし、60歳から、30年過ぎてもS氏は、元気そのもので、体力も気力も満ちあふれておりました。
目が知的好奇心でキラキラと輝いていて、今も菜園とテニスに、晴れた日は汗を流すとのことです。
そして、その後輩達の、70.80代の面々も、元気溌剌で、私たち若輩者は圧倒されてしまいました。
たしかに、「60,70は、はな垂れ小僧」とい言うのが、よく分かった次第です。
そういうことで、実は、私も、まだ小娘だったんですね。
だいぶ皺ヨレヨレではありますが・・・・
心から楽しめた、秋の一日でした。
周遊地図はクリックすると拡大します。

久しぶりの遠出だったので、遅くなりましたが紹介しておきます。
この日は、若かりし頃通っていた 労働学校友の会の第30回イベント、そして最終回になりました。
7時、 自転車で我が町の駅まで走って、駅の駐輪場に預け、電車で京都駅に。
お弁当を自分で作る余裕が無く、駅中のお弁当屋さんで、ミニ幕の内とお茶を買いました。
京都駅八条口送迎場8:00出発の予定でしたが、参加者が1人見つからず20分遅れで発車する事に・・・
今年ばかりは、25人の参加者でマイクロバスは満杯となりました。
10:30大垣に到着。
二人のボランティアガイドさんが付いて案内してくださいました。

まず、大垣市郷土館で、館長さんの説明を聞き展示室を見学。
いつもの事ながら、下調べも何もしていない私です。
この大垣の城は、かの石田三成が、関ヶ原の戦いの前に本陣としていたそうです。
この資料館の屏風絵には、関ヶ原合戦の前日、慶長5年9月14日(西暦1600年10月20日)の様子が生き生きと描かれています。
デモンストレーションとして陣前でときの声を上げる西軍。それに応じて、固めた陣口から兵を送り出す東軍。
石田三成は、この地で決戦の時を予定していたそうですが、前夜に大移動と見せかけた徳川軍の策にのり、関ヶ原に移動したのだそうです。
ああ、戦から逃げ遅れた姫様が一人・・・?

関ヶ原の戦いの後、城主の交代が何度かあって、落ち着いた時の城主が戸田氏でその後ずっと続いたそうです。
大垣のご城主様は戸田様ですよ。
「大垣で戸田ですと言えば、デカイ顔ができるよね」とおしゃべりが弾みました。
初代殿様の像です。ちょっと可愛いすぎる気がするのですが・・・

資料館を見学した後、大垣城まで歩いて移動しました。
大昔は三重の堀に囲まれていた四層の城だったそうです。
堀は埋め立てられて今はありません。城の門の前あたりは、海抜6mとの事。
以前行った、長篠は、もっと北の方になりますが、同じ水系の街なんだなあと繋がりを感じた。
ここら一帯は、織田、徳川と戦国時代の中心地のような場所だったのであります。
城の模型図

ミニ姫路城のような白亜の城は、空襲で焼け落ちたものを復元したものだそうだ。
姫路城、熊本城を見たことのある私には、ちょっと見劣りがすると感じました。
が、それを補うかのごとく、カラフルな髪をしたイケメンのお兄さん、お姉さんが、鎧を着て待ち構えておりました。
300円で鎧を着て、一緒に記念撮影をしてくれるのです。
時間があったら、うれしがりの私は鎧をまとっていたかもしれません。

ガイドさんに誘導され、「奥の細道結びの地」に移動する途中で、由緒正しき柿羊羹の店「つちや」さんの前を通ったのであります。
ドドッと店に押し入り、全員で試食と土産購入となりました。
突然の25人乱入で、お店の人はびっくりしたかもしれませんが、うれしいビックリだったと思います。

水門川に出て、住吉燈台と船町港跡を見学し、奥の細道むすびの地記念館に入りました。


水路を使って、江戸から桑名まで行き来できる。
今だったら交通の大動脈であり、その要所だったんだろうと思われます。
松尾芭蕉翁は、元禄2年の秋、江戸を旅立ち、新潟、金沢を通って、この大垣を最終地としたそうです。
芭蕉さんは、この旅の後も大垣を3回訪れたとのことです。
なんと足腰の丈夫な人だったのだろうと感心します。

記念館で休憩時間をとり、各自昼食としました。
その後、待ってくれていたバスに乗って、キリンビール滋賀工場に移動です。
ビールの空き缶で多賀町民がつくったシンボル、たがゆいちゃんです。

アップすればよく分かります。

綺麗な案内のお姉さんが優しく迎えてくださいました。
一般の見学者と、車を運転する人は、色の違うカードを首からぶら下げなくてはいけません。
キリン一番搾りの出来るまでの説明を聞いて見学、そして最後に、お待ちかねの試飲会です。
アルコールの飲める人は、キリン一番搾り、キリンプレミアム、最後は黒ビールと3種類のビールを飲むことが出来まます。
皆かなり出来上がってしまいました。
それでイベント終了で、一路京都に向かいました
その車中で、このイベントを始めてくださったSさんのお話を伺いました。
学校の事務局長をなさっていたS氏、とても穏やかで、誰にも丁寧で親切な方でした。
60歳で定年退職された後、卒業生達の為に、集まれる場をと言うことで、年に一回のイベントとして、このツアー20年間続けてくださったのだそうです。
そして、10年前に、今のメンバーに役を引き継ぎ、30年目を迎えました。
参加者も、足腰の衰えが目立つようになり、30年で締めとなった訳です。
しかし、60歳から、30年過ぎてもS氏は、元気そのもので、体力も気力も満ちあふれておりました。
目が知的好奇心でキラキラと輝いていて、今も菜園とテニスに、晴れた日は汗を流すとのことです。
そして、その後輩達の、70.80代の面々も、元気溌剌で、私たち若輩者は圧倒されてしまいました。
たしかに、「60,70は、はな垂れ小僧」とい言うのが、よく分かった次第です。
そういうことで、実は、私も、まだ小娘だったんですね。
だいぶ皺ヨレヨレではありますが・・・・
心から楽しめた、秋の一日でした。
周遊地図はクリックすると拡大します。

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最終更新日 : 2017-10-27